森ノ宮にて

今日は、森ノ宮ピロティホールの地下で、「森の宮遺跡展示室」の
一般公開が行われていた。
・・・・といって、こんなことがあることを、今回初めて知ったのだけど。
どこでこの情報を得たのかは忘れたけど、カレンダーに書いておいた。


ホール前には長蛇の列。
え? そんなにすごい展示なん!? と思ったら、違った。
『ボクの四谷怪談』公演中だったんだ。
森ノ宮ピロティホールは、元は大阪市立労働会館といって、1979年に
大阪市によって建てられた。改築に伴って2008年に一旦閉館、その後
2010年に再オープン。敷地の周辺一帯にある森ノ宮遺跡の保存のために、
特殊梁による高床式(ピロティ)構造を採用した珍しい建築様式である。
保存するために高床式にはしてあるが、遺跡を見ることはできない。
大阪歴史博物館のように、床下を見られるようにはなっていない。
調査用の通路などもない、とのこと。当時はそんな技術がなかったそうだ。
大阪市教育委員会のおじさまが説明をしてくださった。
「4500年前〜2500年前までの西日本最大の貝塚(当時のゴミ捨て場)を
はじめ、人骨数十体や、土器など夥しい数にのぼる出土品が確認、保存
されることになった。ホールの西側1階には展示室があり、「大阪市民第1号」
と名づけられた女性の人骨のほか、貝殻、動物や魚の骨、狩りの道具、
石器、土器の破片など、この時の出土品の一部が展示されてる。」
(大阪観光情報より)
身長148cm、30代成人女性の人骨が、発掘された状態で展示されている。
長年大阪市民やってるけど、こんなのはじめて知ったわ。
しかも、近くやのに・・。(苦笑)
案外、知らないで過ごしているものなのね・・。
おじさまが、今日は難波宮史跡公園で中央区民まつりをやっていて、
そこの展示室も公開されているから、是非見に行って!と言われたので、
行ってみることにした。
途中で、越中井を見学して、大阪カテドラル聖マリア大聖堂へ。

東日本大震災発生一年半の集会が行われて、終わったところだった。
こういうところがあったのか。
さ、難波宮史跡公園へ。
なんか・・すごく・・やかましい・・においがいっぱい・・
良いお天気で、暑かった!
展示室って、どこよ? と入り口の案内所で聞いてみると、
文化財研究所のコーナーへ行ってみて、と言われ。
行ってみると、眼鏡の男性が、まもなく案内が始まります、と。
いいタイミングだった。
おじいさんとおばさんと私(もおばさんやけど)の3人。
おばさんはすぐにいなくなった。(連れに電話で呼ばれた)
2人で学芸員さんの説明を聞いた。お得!
乙巳の変のあと、この地に「難波長柄豊崎宮」が誕生。
652年に完成し、孝徳天皇が遷都。686年正月に全焼するまで存続した。
これが前期難波宮
奈良時代前期の726年、聖武天皇藤原宇合に命じ難波宮に瓦葺の離宮を造営。
744年には恭仁京から難波宮への遷都が実施された。
翌年、平城京に遷都されたのちも、副都として機能していた、とか。
これを後期難波宮という。
副都ね。現代もそうすればいいのに。東京一極集中は危ないよ。
大阪の歴史に触れる機会があるといつも思うのは、
京都や奈良に劣らない歴史がある、ということ。
修学旅行の行き先として、大阪はすっとばされることが多いけれど。
NHKで、スペシャルドラマを放送してくれたらいいのにな〜
と言ったら、学芸員さんは大賛成してくれた。(笑)
そのあと、展示室に案内してもらって、そこ担当の学芸員さんと交替。
その方からもいろいろと説明していただいた。
おもしろかった。また行こうっと。


駅に戻って、新大阪まで行く。
鯖寿司を買いに行ったけど、目指す商品はなかった。
聞いてみて、別のメーカーを売っているおばちゃんが「おいしいよ!」
と言うので買って帰ったけど、やはり先月買ったものとは大違い。
午前中に行かないと売り切れてしまうのかなあ?
また、行ってみようっと。